甲府地方裁判所 昭和39年(ワ)120号 判決 1969年3月12日
原告
槇きよ
ほか四名
被告
河野建築工事株式会社
主文
被告は原告槇きよに対し金一三万三、三三二円、原告槇和子に対し金三四万六、六六七円、原告竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀に対し各金一四万〇、五四六円及びこれに対する昭和三九年六月一二日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分しその一を原告らの負担、その余を被告の負担とする。
本判決は、原告ら勝訴部分に限り、原告槇和子において金九万円、原告槇きよ、同竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀において各金四万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
第一(当事者双方の申立)
原告ら訴訟代理人は、「被告は原告槇きよに対し金二〇万円原告槇和子に対し金一一七万四、六五四円、原告竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀に対し各金六四万七、二五六円およびこれに対する昭和三九年六月一二日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求めた。
第二(原告らの請求の原因)
一、原告槇きよは、訴外亡槇忠一の母、原告槇和子は槇忠一の妻、原告竹内慶子は右忠一の長女で訴外竹内進の妻、原告槇文昭は右忠一の長男、原告槇俊秀は右忠一の次男であり、被告河野建築工事株式会社は、土木基礎工事請負を業とする会社であり、訴外向沢栄吉は右被告会社の運転手として雇われている従業員である。
二、訴外向沢栄吉は、昭和三七年五月九日午後八時三〇分頃、被告所有に係る大型貨物自動車多一す〇〇七〇号を運転して甲府市酒折町六九八番地先一級国道二〇号線を時速三〇粁位で西進中、訴外亡槇忠一(当時四五年)が自転車に次男槇俊秀を乗せて同一方向に向つて道路左側の水溜りを避け、道路中央寄りに出てふらつきながら進行しているのを約一五m手前で発見し、その右側を追越して進行しようとしたのであるが、かような場合、自動車運転者としては同人の動静に留意し、同人との間隔を十分に保ち、接触等の事故を起さないよう減速徐行して追越すべき注意義務があつたのにこれを怠り慢然と右忠一に接近して、同一速度のまま進行した過失により自動車の左前輪フエンダー附近を右自転車の右ハンドルに接触させ、右忠一、俊秀らを路上に転倒させたうえ、右忠一を左後車輪で轢き、よつて同日午後九時三〇分頃、甲府市桜町中村外科病院において右忠一を頭蓋底骨折により死亡するに至らしめたのである。
三、以上のとおり、槇忠一の死亡は右自動車の運転手向沢栄吉の過失によるものであるが、右向沢が被告の業務として前記車輛にブルトーザーを積み長野県の蓼科まで運搬する途次に前記事故を惹起した前記車輛の運行からみて、被告は自動車損害賠償保障法第三条にいわゆる「自己のために自動車を運行の用に供する者」に該当するので、同法条により、原告らに対して亡槇忠一の被つた後記損害を賠償する義務がある。
四、忠一死亡当時、原告きよは六九才、同和子は三九才、同慶子は一九才、同文昭は一七才、同俊秀は一二才であつて、右忠一の家はぶどう園(一町三反)を有する中流の農家であつて、原告きよ外四名はいずれも忠一の扶養家族である(竹内慶子は昭和三八年一二月二五日肩書地の竹内進に嫁いでいる)そこで忠一の死亡により得べかりし利益は次のとおりである。
(一) 忠一の有するぶどう園一町三反のうち三反はデラウエア種を、一町は甲州種を栽培しているのであつて、農林省山梨統計調査事務所の発行に係る昭和三七年の山梨農林水産統計年報によれば、昭和三七年のデラウエア種のぶどうの年間反当り、生産物収量は一・五三九キログラム、その生産物価格は金一〇万八、〇八八円となるが、これより種苗費、肥料費、防除費、成園費、農具費、畜力費、労働費等の費用と副産物価格合計(これを第一次生産費と称する)に資本利子、地代を加えた第二次生産費を差引いた反当り純収益は金三万九、八四三円となる。而して、右純収益は、家族の労働を傭人の労賃として換算したものを控除して算出したものであるから、反当りの家族労働報酬は、右純益に反当り家族労働費を加えた金額であつて、昭和三七年においては金六万六、六八三円となるが、該金額は農業従事者二・四人の労働の結果あげ得たものであるから一人当りの家族労働報酬は金二万七、七八四円(円未満切捨)となる。
同様にして、前記統計年報によれば、甲州種のぶどうの昭和三七年の反当り収量は一・七一七キログラム、その反当り生産額金一〇万〇、六二〇円、反当り純収益は、金三万七、一一九円であるが、これに反当り家族労働費を加えた反当り家族労働報酬は金六万〇、九七七円で一人当りの反当り家族労働報酬は金二万三、四五二円となる。これによつてみれば、忠一の有するぶどう園一町三反を栽培することによつて昭和三七年の忠一個人の取得する年間の労働報酬は金三一万七、八七二円であるから一ケ月平均金二万六、四八九円となる。而して、右昭和三七年における家族労働報酬は、出荷組合に出荷された生産数量を基礎としているので低めに計算されたもので、且つ特別な天候異変その他急激な出荷市場の変動なき限り、昭和三八年度以降においても、年々同程度又はそれ以上の収益をあげうるものと考えられるのである。
(二) 忠一は、死亡当時四五才で健康であり、向後六五才に至るまで、同程度の労働を継続してその収益をあげうることは経験上明らかである。
なお、忠一本人の生計費については、前記統計調査年報によれば、一町歩より一町五反を有する、家族人員五・九二人の昭和三七年中の家族家計費は金五二万九、二〇〇円であるから、一人当り年間金八万九、三九一円であり、忠一の年間生計費も右金八万九、三九一円を相当と考えられるので、一ケ月平均金七、四四九円となる。結局忠一は、向後二〇年間一ケ月につき、前記の家族労働報酬から前記の生計費を控除した金一万九、〇四〇円の割合による利益を失つたものであつて、その年金的利益に対してホフマン式計算法により、利率年五分の中間利息を控除しての現在価格を算出すれば金三一六万二、六五〇円(円未満切捨)となる。
五、忠一の死亡により原告槇和子は喪主として葬式をなし、葬式費用として、金一九万八、七七〇円(訴状に金一万九、七七〇円とあるのは誤記と認める)を、また医療費として金五〇〇〇円を各支出し、同額の損害を受け、又忠一は原告一家の支柱であり、年令も四五才の働きざかりであつて、原告槇きよは忠一死亡当時六九才の老令であつて、その夫忠直には、昭和二年四月二九日に他界され、女手ひとつで忠一を九才ごろから育てあげ、忠一死亡当時長男忠一夫婦と原告竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀と六人で暮していたのであつて、老後、頼りにしていた長男忠一を失い、その精神的苦痛は甚大であり、原告和子は、昭和一八年六月二八日、忠一と結婚し、爾来一九年間忠一と連れそい、農家の嫁として家事および農事に尽粋してきたが、右忠一が突然他界したことによる精神的衝撃が大であるばかりでなく、原告文昭、同俊秀は未成年者であり、現在俊秀は高校在学中で、文昭は高校を卒業したばかりで、これから成人させねばならぬ重大な責任を死亡した忠一に代つて負うこととなり、かつ老母きよの扶養を果さねばならぬこととなつた。その精神的苦痛は甚大であつて、また、忠一死亡当時原告竹内慶子は現在の夫竹内進と結婚前であり、原告文昭、同俊秀も忠一死亡当時は何れも未成年者であつて、頼りとする父を失つた精神的苦痛も甚大であるので、被告に対し慰藉料として原告槇きよに対し金二〇万円、原告槇和子に対し金三〇万円、原告竹内慶子、同槇文昭同槇俊秀に対して各金二〇万円の支払を求めるのを相当と考える。
六、よつて、原告らは、被告に対し、原告槇きよは前記慰藉料として金二〇万円の請求を、また原告槇和子はその相続分に応じて、忠一の死亡による前記得べかりし利益金三一六万二、六五〇円の三分の一である金一〇五万四、二一六円を、原告竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀はその相続分に応じて、前記得べかりし利益のうち各金七〇万二、八一一円を右忠一の死亡により相続したものと言うべきであるが、原告槇和子については、葬式費用と医療費ならびに自己の慰藉料の合算額金一五五万七、九八六円、原告竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀についてもこれに自己の慰藉料を加えた金九〇万二、八一一円被告に請求しうるわけであるが、同原告らは本件事故発生後自動車損害賠償保険金として金五〇万円を受領し、また訴外向沢栄吉は原告槇和子、同竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀に対し、昭和四二年五月三一日金六五万円を支払つて裁判上の和解が成立したので右金員を亡忠一の相続人等の相続分に応じて弁済充当した結果原告槇きよに対し金二〇万円、原告槇和子に対し金一一七万四、六五四円、原告竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀に対し各金六四万七、二五六円及びこれに対する本訴状送達の翌日たる昭和三九年六月一二日より右完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。
第三被告の答弁
一、請求原因第一項中被告の事業目的、訴外向沢を運転手として雇傭していたことは認めるが、その余の事実は不知。
二、同第二項中原告ら主張の日時場所において、訴外向沢栄吉が被告会社の自動車を運転していたこと、槇忠一が自転車に次男俊秀を同乗させて、ふらつきながら進行していたこと、右忠一が原告ら主張のような傷害で死亡したことは認めるがその余の事実は全て否認。
三、同第三項は争う。
四、同第四、五、六項は否認。
第四被告の抗弁
一、本件事故直前の状況
訴外向沢栄吉が運転する被告所有の自動車は、長野県の蓼科まで「小松D五〇Sドウザーシヨベル一台」を積載し運搬の途中であつた。事故直前頃は降雨中で暗く附近の道路は左えやや傾斜していたためと、積載していたシヨベルはキヤタペラ車輛のため、常に動揺する危険があつたため、道路中央センターライン上を時速約三〇粁で慎重な運転をしていた。しかも向沢は自動車運転の経験も長く技術も優秀で昭和三二年以来無事故で人柄も真面目で殊に当日は右自動車をはじめて運転(通称新車運転)したのであつたから殊更に運転は慎重であつた。
二、本件事故当時の状況
被害者を発見したときの距離は約一五mあつたが、道路中央線上を進行していたため、発見後間もなく前照燈から被害者の姿がはずれたため、特段の注視をする必要もなく通り過ぎるような状況となつた。そして同人の横を追抜きそうになつた瞬間、被害者が突然左真横附近からふらふらと倒れるような状態で接近して来たので、とつさに危険を感じ急制動をかけて停車した。停車して被害者の状況をみると、同人は左後部車輛(後部二輪の前側の車輛)内側に車輛をかかえるような姿勢で中座のようになり、轢かれた痕跡はなく、合乗りの子供は外側に転倒していた。このとき同人が多量に飲酒し酩酊していたことが判明した。衝突時の状況は次の如く推認される。すなわち、被害者は酩酊運転のため多少ふらついたはずみに右側え態勢がゆれ、そのとき丁度本件自動車前車輪フエンダー内側附近に右ハンドル握部分が入りそうになつたところ、瞬間的に合乗りさせていた子供が危険を感じて反対側え飛降り、その反動で態勢がくずれ内側え転倒したものである。もし、本件自動車が被害者に追突したものとすれば、当然同人は前方にはね飛されているはずであり、訴外向沢にとつては全く瞬間的出来事で、しかも真横附近に倒れるような状態で被害者が接近して来たのであるから予見不可能な状況にあつたと言える。
したがつて、本件事故は被害者の酩酊運転、子供との合乗りなどの不注意によつて生じたものであつて向沢の運転には何らの過失はなかつたから、被告には何んらの賠償責任はない。
三、仮に向沢の運転に過失があつたとしても、前記のごとき事情によつて、被害者側にその責任原因において重大な過失があつたことは明らかであるから、過失相殺の主張をする。
第五原告らの被告の抗弁に対する再答弁
一、本件事故の際、被害者槇忠一が自転車に原告俊秀を合乗りさせながら、右貨物自動車と同一進行方向に向つて運転していたこと。それを向沢が約一五m手前で発見したが、時速三〇粁の速度のままこれを追越そうとしたこと、追越す際の自動車の位置が道路中央センターライン上であつたこと、右追越しの際被害者の自転車右把手と加害自動車の左前輪フエンダーとが接触したこと。そのため自動車が急停車したところ、被害者は自動車の後輪中前のタイヤ(特殊自動車のため後輪が前後二つある)のところに転倒し、合乗りの子供は外側に転倒したことはいずれもこれを認める。
二、被害者が事故当時多量に飲酒し酩酊していたこと、および本件事故が専ら被害者の過失に基因し、被害者自身がよろけて自動車の下に転倒したものであること、本件自動車が被害者を轢いたものでないとの被告の主張事実はいずれも否認する。
三、訴外向沢栄吉は被害者忠一に接近しても警笛を一回も吹鳴しなかつた上、安全運転をなし得るよう十分な間隔を保つて進行しなかつた点で、被告の過失責任は免れないものである。しかして、被害者忠一は加害車輛の接近を知らず、また事故発生直前にふらつきながら進行していたのも酩酊のためでなく道路がひどい水溜りで悪く、これを避けようとして進行していたものであつて、よろけて加害車輛に接触したものではないから被害者に過失はない。仮に被害者に若干の過失があつたとしても加害者が注意義務を怠らなかつたならば被害者は加害車輛との接触をさけ得たのであるから、被告の過失相殺の抗弁は理由がない。
第六証拠〔略〕
理由
一、被告は土木基礎工事請負を業とする会社であり、訴外向沢栄吉は右被告の運転手として雇われている従業員であること、および訴外槇忠一が昭和三七年五月九日午後八時三〇分頃甲府市酒折町六九八番地先国道二〇号線上において自転車に原告槇俊秀と合乗りして進行中訴外向沢栄吉の運転する被告所有に係る大型貨物自動車と接触して頭蓋底骨折の傷害をうけ、よつて同日午後九時三〇分頃に死亡したことは当事者間に争いがない。
二、本件事故が右向沢栄吉の過失に基づくものであるか否かにつき考察するに、〔証拠略〕を総合すると、前記向沢栄吉は折からの小雨中を大型貨物自動車を時速約三〇粁で運転して、前記道路(中央舗装部分六m、両側に非舗装部分進行左側二・二m、進行右側三・六m)の舗装部分中央を西進し、事故現場手前で約一五m先を前記道路の左側非舗装部分を同一方向に進行している忠一の自転車を発見したこと、訴外向沢は、そのまま進行し、右忠一の自転車に接近しその後方約四mの距離で一旦ブレーキを踏んだが、右忠一が後を振り向くとか、道路左側へ避譲する等接近する自動車に気ずいたと認められる何らの挙動も示さなかつたにも拘らず、右忠一との間があるから安全に追越し得ると軽信し、そのまま直進して追越そうとしたのであるが、その追越のため接近する自動車を覚知していない忠一は、進行してきた道路の非舗装部分に長さ二・三m幅二・五m(舗装部分に約三〇糎入つている)の水溜りがありこれを避けるため舗装部分に入つて来たため、本件自動車と接触し、右向沢が急停止措置をとつたがおよばず、自己の運転する自動車の左前輪泥除けボデー附近に自転車の右ハンドルを接触させ、忠一と同乗していた原告俊秀の両名を路上に転倒させたうえ、忠一を左後車輪の前輪で轢いたこと、事故当時右忠一は酒気を帯びていたことを認めることができ、以上の認定を左右するに足りる証拠はない。
右に認定した事実によれば、訴外向沢栄吉としてはかかる場合には警笛を吹鳴して自動車の接近を知らせるべく右忠一の注意を喚起して、同人がその接近を覚知したことを確認した上、同人の動静に留意して減速徐行し、同人との間隔を十分に保つため多少ハンドルを右にきつて進行するとか、場合によつては速度を十分ゆるめ同人の動静に応じて何時でも急停車できるように徐行して追越す等不測の接触事故を未然に防止し得るよう運転すべき業務上の注意義務があつたのにも拘らず、これを怠つて慢然同一速度のまま進行した過失があつたものというべく、他方被害者槇忠一としては、本件のように自転車で通行して非舗装部分に水溜りがありこれを避けるため、舗装部分に進入する場合には、前後の車の有無を見極める等安全を確認して進行すべき注意義務があるところ、酒気を帯びて自転車に二人乗りをしながら、これを怠り卒然と舗装部分に進入した点に過失があつたと判断すべきである。
以上のとおり、本件事故は訴外向沢栄吉および亡槇忠一双方の過失の競合によつて惹起したものである。
三、ところで、訴外向沢栄吉は被告の運転手として被告所有にかかる自車を被告の業務のために運行するに際して、本件事故を惹起したものであることは、当事者間に争いがなく、被告は他に自動車損害賠償保障法第三条但書所定の免責事由に該当する何らの事実の主張、立証もなさないから、本件事故によつて原告らが受けた損害につき同法第三条にいわゆる自己のために自動車を運行の用に供したものとして、その賠償をなすべき義務がある。
四、損害額について
(一) そこで、本件事故によつて被害者忠一の受けた損害額について判断する。
1 〔証拠略〕によれば次のような事実を認めることができる。すなわち、亡忠一は本件事故発生当時農業を営んでいたが、その耕地面積はぶどう園約一町一反(デラウエアー種二反、甲州種九反)の農家であり右ぶどう園からの収穫物も中程度であつた。また亡忠一の家族は母原告きよ、妻原告和子のほか子供原告慶子、同文昭、同俊秀の計五名とほかに使用人一人がおり、農業の労働量のうち、約四割を忠一が占めており、その余の家族、使用人で六割を占めていたことが認められる。ところで甲第一七号証の農林省山梨統計調査事務所長の回答によるぶどうの生産費調査に基づく収益の算出方法を純収益と家族労働報酬とに分け、
純収益=反当り生産額(主産物収入)-反当り生産費(第二次生産費)
反当り家族労働報酬=反当り純収益+反当り家族労働費
という算式で算出された、山梨県のぶどうの主要生産地のデラウエアー種と甲州種の昭和三七年から同三九年における収益は次のとおりである。
<省略>
しかして、一般に収益として取扱われている項目は家族労働報酬による方式であり、〔証拠略〕によれば忠一は大正八年七月一五日生れで事故当時四五才であることが認められ、また同人は本件事故によつて死亡する以前は普通の健康体であつたことを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実に照らして亡忠一の喪失した得べかりし利益の損害額について判断するに、忠一はいわゆる中農であつて、その耕作地における収穫につき特段の事情があるとの主張、立証がないので、忠一の農業経営に基づく収益を算出するに当つては、前示認定の山梨県主要ぶどう生産地の収益および前示の家族労働報酬の算出方式によるのを相当と解すべきところ、忠一の労働は使用人を含めた全家族労働の約四割を占めていたのであるから、忠一の家族労働報酬は前示の表に記載された数額の約四割を占めるものと判断すべきであり、また年間の家族労働報酬を算出するに当つては、前示の昭和三七年における数額だけを基準とするよりも同年から三年間における数額の平均値を基準とする方がより妥当である。そうだとすれば右三年間におけるぶどうの反当り純収益、家族労働費の平均値、家族労働報酬ならびに忠一の年間反当り家族労働報酬は次のとおりである(ただし円以下切捨)。すなわち
<省略>
次に、右忠一の年間反当り家族労働報酬を基準として、同人の耕地面積に照らした年間の収益を算出すると、
<省略>
となる。
ところで、前顕甲第一七号証農林省山梨統計調査事務所長の回答によると昭和三七年度における経営規模一町歩ないし一町五反の農家の一戸当り家族家計費は金五二九、二〇〇円であり、世帯人員の平均は五、九二人であつて、一人当りの消費支出額の平均は金八万九、三九二円となる。同様にして昭和三八年度は金九万七、七九一円、同三九年度は金一二万二、三七九円となり、右三年間の平均は金一〇万三、一八七円となるので、この金額をもつて忠一の一年間の生活費と認めるのが相当である。
してみれば、忠一の前示年間収益金一四四、二二一円から前示年間生活費金一〇万三、一八七円を控除した残額金一四四、二二一円が忠一の一ケ年の純利益となり、また、昭和四〇年以降の純利益についても特段の事情がないかぎり、これと同額の純利益があるものと推認することができる。
次に、第一一回生命表(昭和四二年七月)によれば忠一の余命年数は二七・八七年であるところ、前示認定にかかる忠一の性別、職業、健康状態、家庭環境その他諸般の事情を勘案すると、忠一の稼動年数は、本件事故発生当時から起算して二〇年間であると認めるのが相当であり、さらに、右二〇年間のうち最後の五年間の稼動能力すなわち、純利益は肉体労働を伴う職業の性質から五割に労働力半減するものと認めるのが相当である。これに反する原告らの主張は採用しない。
そこで、忠一が前示年間純利益金一四四、二二一円を基礎として、前示稼動年数二〇年間に得べかりし利益を本件事故発生の日に一時に受領するとすれば、その金額はホフマン式計算法により、中間利息を控除して、これを算出すれば、
(イ) 前の一五年間に得べかりし利益は、
144,221円×10.98083524=1,583,667円(円以下切捨)
となり、
(ロ) 後の五年間に得べかりし利益は
72110円×(13.61606764-10.98083524)=72110円×2.63523240=190,026円(円以下切捨)
となり
右(イ)と(ロ)の合計は金一七七万三、六九三円となる。右金額が本件事故発生当時における前記忠一の得べかりし利益の現価である。
2 以上の次第であるから忠一は被告に対し本件事故により喪失した得べかりし利益の事故発生当時における現価である金一七七万三、六九三円の損害賠償請求権を取得したものというべきところ、原告和子は同人の妻であり、原告慶子、同文昭、同俊秀は忠一の子であるから、法定の相続分に従い、右請求権のうち原告和子はその三分の一である金五九万一、二三一円の請求権を、原告慶子、同文昭、同俊秀はいずれもその九分の二である金三九万四、一五四円の請求権を相続したものというべきである。
(二) 原告和子の受けた損害額について判断すると、
1 医療費
〔証拠略〕によると、忠一は本件事故発生日に甲府市桜町中村外科病院に入院し、その医療費として原告槇和子が金五、〇〇〇円を支出したことを認めることができ、これに反する証拠はない。
2 葬式費用
葬式費用の点について判断するに、〔証拠略〕によると、原告槇和子は忠一の死亡により喪主として葬式費用金一九万八、七七〇円を支出したことが認められ、同家庭の状況から右金額は相当な範囲内にあるものと言うべきであり、他にこれに反する証拠はないから、この点に関する請求もその理由がある。
(三) 慰藉料請求について
〔証拠略〕によると、本件事故によつて原告らは満四五才の働き盛りで一家の大黒柱とも目すべき右忠一を突然失つたのであるからその悲嘆のほどは推認するに難くなく、また一家の重要な農業労働能力を喪失して生計を維持するのも容易でない状況に陥つたのであるから、忠一の事故死により被つた精神的苦痛は甚大であると思料されるところ、前叙各説示の諸般の事情をも考慮すると、右原告らの精神的苦痛を慰藉するには原告槇きよに対し金二〇万円、同槇和子に対し金三〇万円、同竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀に対し各金二〇万円の賠償を支払うことをもつて相当と認める。
(四) 過失相殺について、
前示認定のとおり亡忠一にも過失があつたから、被告としては、忠一の死亡によつて生じた原告らの右損害について、その支払責任の幾分かを免ぜられるべきところ、当裁判所は前認定の本件事故の情況を考慮し、被告は原告らの右損害額からその三分の一を控除するのを相当と認める(もつとも原告らの慰藉料については、原告ら自身には過失はないけれども亡忠一の過失をひろく原告側の過失と解するのが正当である。)これによると、原告槇きよについては、慰藉料金二〇万円より三分の一を差引いた金一三万三、三三二円(円以下切捨)原告槇和子は相続した金五九万一、二三一円、医療費金五、〇〇〇円、葬式費用金一九万八、七七〇円、慰藉料金三〇万円、計金一〇九万五、〇〇一円より三分の一を差引いた金七三万円、原告竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀はそれぞれ相続した金三九万四、一五四円、慰藉料金二〇万円、計五九万四、一五四円より三分の一を差引いた金三九万六、一〇二円の損害を蒙つたことになる。
(五) ところで、原告らの自認するところによると、原告槇きよを除いた他の原告らは、自動車損害賠償保障法により、保険金五〇万円の給付を受け、また訴外向沢栄吉は原告槇和子、同竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀に対し昭和四二年五月三一日金六五万円を支払つて裁判上の和解が成立したので、右金員を亡忠一の相続人等の相続分に応じて弁済充当した結果、原告槇和子は金三八万三、三三三円(円以下切捨)、原告竹内慶子、同槇文昭同槇俊秀は各金二五万五、五五六円(円以下加算)を損害金の内入弁済に充てたことになるので、これを控除すると、原告槇和子は金三四万六、六六七円、同竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀は各金一四万〇、五四六円となるのである。
五、前叙の次第で、被告は原告槇きよに対し金一三万三、三三二円、同槇和子に対し金三四万六、六六七円、同竹内慶子、同槇文昭、同槇俊秀に対し各金一四万〇、五四六円および右金員に対する本件訴状送達の翌日である昭和三九年六月一二日より完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。
六、よつて、原告らの本訴請求は前示範囲において正当として認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 清水嘉明)